デス・オーバチュア
第63話「静寂の女神」





長身の細身を漆黒のロングコートに隠した、銀髪に青眼の青年は、青銀色の剣と向き合っていた。
青銀色の妖しげな輝きを放つ幅広の剣は、台座に突き刺さり、無数の鎖で厳重に封印さている。
「…………」
男は剣にゆっくりと手を伸ばした。
「やめた方がいいよ、お兄ちゃん〜」
背後からの声に、男は手を止め、後を振り返る。
そこに居たのはメイド服のようなデザインの青一色の洋服を着た十歳にも満たないだろう幼い少女だった。
少女の最大の特徴は、青とも銀ともつかない、不可思議な青銀色の髪である。
「……誰だ、お前は?」
「その剣には触らない方がいいよ。御霊の剣なんて呼ばれてるけど、その剣の正体は怨霊の剣……ガルディア皇家に……ううん、生者全てに祟りなす……災厄の剣、千の禍を招く因禍の剣……全ての命を奪い尽くし絶対なる静寂を望むモノ……」
少女は、男の問いには答えず、剣についてのことだけを述べた。
「ご大層な肩書きだな……」
「ハッタリじゃないよ。なぜ、ガルディアの城のこんな地下深くにその剣が封印されているか解る? その剣が数え切れない程の無数の命を奪ったからだよ……」
「それがどうした? 剣は人の命を奪うための道具だ」
「使い手の命も? その剣はね、自分を持った者の心も体も全て奪い尽くし、破滅させたんだよ」
「ふん、剣を使いこなせない馬鹿が悪い」
男は酷薄な笑みを浮かべてそう言い切る。
「……強気だね、お兄ちゃん。自分だけは大丈夫だとでも思っているの?」
少女は男にも負けない冷たい眼差しで尋ねた。
「まあな……いや、そうじゃないな、どうでもいいんだ」
「……どうでもいい?」
「俺が剣に命を吸い尽くされたり、剣に逆に支配されて破滅する程度の人間ならそれはそれでいい。そんな程度しか価値がない人間なら、生きている必要もない」
「…………」
少女は冷徹な瞳で男を観察するように見つめた後、苦笑して軽く息を吐く。
「自惚れてるんじゃなくて、お兄ちゃんは本当にどうでもいいんだね、自分の体も命も……全然執着ってものが感じられない……ううん、寧ろ死にたがって……殺されたがっているようにすら見える……」
「別に俺には自殺趣味はないさ……だが、殺す殺されるの空気は好きだ……あの充実感に優るものはない……俺はずっと戦い続けていたい、いつか俺より強い奴に殺されるその時まで……」
「狂ってるね、お兄ちゃん……でも、だからこそ……お兄ちゃんにならあげてもいいかも……」
「ああ?」
「ううん、なんでもない。で、そんなお兄ちゃんがなんでその剣が欲しいの? そんな剣がなくてもお兄ちゃんは充分強そうに見えるけど?」
「決着をつけたい奴がいる……」
男は複雑の感情の入り混じった表情で答えた。
「負けたの? その人に……」
「腕は俺のが上だった……剣が俺についてこれなかっただけだ……俺は、俺が全力で使っても壊れない剣が欲しい……ただ、それだけだ」
「そっか。そうだよね、解るよお兄ちゃんの気持ち……使い手のせいで自分の本当の力を発揮できないわた……剣の気持ちと同じだもん……うん、いいよ、お兄ちゃんなら」
「いい? 何がだ?」
「その剣を……わたしをお兄ちゃんにあげるってことだよ」
少女の姿が薄れるように消えると同時に、男は背後に気配を感じ振り返る。
少女が居た。
青銀色の剣と重なるように、薄く透き通った少女が浮いている。
「我が名は静寂の夜……全ての命というノイズを排除し、完全なる沈黙を、絶対の静寂を望むモノ……汝、我と共に世界の終わりを見ることを望むか?」
少女の声と雰囲気はがらりと変わっていた。
どこまでも威圧的で威厳に満ち溢れたものに。
「世界の終わりか……そんなものには興味がない」
「…………」
「だが、全てのノイズ……雑音を消し去りたいっていうお前の望み、叶えてやってもいい。俺は別にこの世界に何一つ失いたくないものなどないからな……お前がこの世界の全てを無に返しても俺は別に構わない」
「……では、代わりに汝は我に何を望む?」
「俺の全てを引き出せる最強の剣を……つまり、お前の全てを俺に寄こせ」
「承知した。今より我の全ては汝の物、汝を我が最初で最後の真の主人……契約者と認めよう。千夜の果て……この世の終わりまで、我と汝は一つだ……」
少女の姿が具現化……物質的な肉体を持つと同時に、台座に刺さっていたはずの剣が消滅した。
「……というわけで、これから宜しくね、お兄ちゃん〜」
またしてもがらりと、今度は外見に相応しい子供らしい甘えた声に変わる。
「お兄ちゃんはやめろ……ガイだ、ガイ・リフレイン」
「解ったよ、ガイ。わたしのことは剣の時は静寂の夜、この姿の時はアルテミスと呼んでね。じゃあ、さっさと本契約しちゃおうよ〜」
アルテミスは明るく軽いノリでそう言うと、自らのメイド服に手をかけた。
「よいしょ、よいしょ」
アルテミスは脱ぎにくいのか、苦労しながら、脱衣していく。
「待て……何をしたいんだ……何を……」
「ん〜、だから、本契約だよ。性交しないと契約が成立しないよ。まあ、仮契約なら接吻だけでいいんだけど……」
「……俺はお前みたいな子供を抱く趣味は……無い……」
「大丈夫だって、小さい方が具合がいいよ、きっと。あ、でも、わたし初めてだから優しくしてね」
「初めて? 今まで何人もの人間に使われて、その命を喰らったと……」
「ああ、それはただの剣として使われてあげただけだよ。神剣とその使い手としての正式契約は別。契約しないと、わたしはただこの世でもっとも硬い物質できただけの丈夫な剣に過ぎないよ。ガイは、わたしの『全て』が欲しいって言った。だから、神剣の全ての力……わたしの全てを貰ってくれるよね? わたしの最初で最後の恋人、永遠の伴侶、同一体になってくれるよね? よねっ!?」
アルテミスは半裸で、ぐいぐいと脅迫するようにガイに迫ってきた。
「わたしの全てはガイの物。だから、ガイの全てもわたしの物。浮気は許さない。ううん、したくても絶対にできないよ、わたし達は一つになるんだから……それでも、わたしが……静寂の夜が欲しい? 今なら拒否しても、殺すだけで許してあげるよ」
執着、期待、殺意、そういったものが入り混じった壮絶な眼差しでアルテミスは答えをねだる。
「……解った、俺はお前の物だ、アルテミス」
ガイは観念したように息をつくと、苦笑を浮かべた。



「ガイ、ガイ〜」
アルテミスは、木陰に座り込んで果物をかじっているガイの元に駆け寄った。
「……アルテミス、もう姉とはいいのか?」
アルテミスはガイの横にちょこんと腰を下ろす。
「うん、もう充分話したし、遊んで貰ったよ」
心底嬉しそうにアルテミスは言った。
こうしていると、アルテミスは外見どおりの無邪気な子供にしか見えない。
「そうか……」
「わたしが居ない間、寂しかった?」
心配するというより、何かを期待するような眼差しでアルテミスは尋ねた。
「馬鹿を言え、一日や二日隣に居ないだけで気にもなるか」
「むぅ〜〜」
アルテミスが不満そうに唸る。
「それに、俺とお前は繋がっている。物質的に離れていても、本当の意味で『離れ』ることはないだろう」
「まあ、そうなんだけどね」
アルテミスは落胆と嬉しさの混じったような複雑な表情を浮かべていた。
物質的な距離が離れても精神的にはいつも一緒、お互いの全てを理解し合っている、それは嬉しいのだが、側に居ないと寂しいと思ったり、心配したり、嫉妬したりしてくれないのは少しだけつまらなかった。
神剣との契約、一つになるというのはつまりそういうこと。
お互いの全ての考え、想い、記憶が解ってしまうのだ。
どこからどこまでが自分の考えや想いで、どこからどこまでが相手の考えや想いなのか混乱してしまう程に……。
相手を裏切ったり、騙したり、隠し事することは絶対にできない、自分達は二人で一人、二人で居ながら、他者を持たない、孤独な存在だ。
「ねえ、ガイ……」
「なんだ?」
「わたしがガイを愛するのは自己愛……ナルシストってことになっちゃうのかな?」
アルテミスはガイに抱きつきながら、少しだけ不安そうな表情で尋ねる。
「……さあな。ただ……」
「ただ、何?」
「もし、そうなら、俺もナルシストということになるらしい」
「ガイ……」
「…………」
二人の唇がゆっくりと重なった。



「あの赤い炎の悪魔をぶっ殺したらいくらくれる?」
「いくらでもお望みのままに」
「決まりだ」
ガイとエランの会話はそれだけだった。
これはあくまで建前。
金のため、生きるために、剣を振るい他者を殺すという基本スタイルを守るためだけの形式だ。
もし、エランが金を出すのを断ったとしても、ガイはもう一度あの悪魔と戦う。
自分の基本スタイルを破ってでも、自分のプライドを守るために、戦わないわけにはいかなった。
「俺達……いや、俺は最強でなければいけない、そうだろう、アルテミス?」
「うん、わたしは最強だよ」
俺=わたし。ガイ=アルテミス。二人の間に『達』という言葉、考え方は必要ない。
「ん?」
一つの洞窟の入り口の前に、一人の銀髪の女性が立っていた。
女性には右肩だけに銀色の天使の翼がある。
「堕天使か? あの悪魔の仲間か?」
「…………」
銀翼の天使は道を譲るように、洞窟の前からどいた。
「どうぞ、お通りください」
「……邪魔はしないのか?」
「いいえ、しますよ。貴方以外は、鼠一匹、蟻一匹とてここを通すつもりはありません。全て私がここで排除します」
銀翼の天使の右手は無意識に腰の極東刀に伸びている。
「なら、なぜ、俺だけは通す?」
「貴方に手を出したら、私はイェソドに滅されます。そうしたら、ここを死守することができなくなってしまいます……だから、貴方だけは通します。どこか筋の通っていないところがありますか?」
「いいや、完璧な答えだ。じゃあ、遠慮なく通させてもらおう」
そう言うと、ガイはマルクトの横を通り過ぎようとした。
「御武運を……」
ガイが通り過ぎる瞬間、目はガイではなく正面を見つめたまま、銀翼の天使が囁く。
「ああ、お前も満足のいく散り方ができるといいな」
ガイはそう呟き返すと、そのままマルクトの横を抜けて、洞窟の奥へと駈けていった。



洞窟を少し進むと、分かれ道にぶつかった。
それぞれの道は全て色違いの門で塞がれている。
ガイは何の根拠からか、迷わず赤い門を選ぶと、その門を蹴り開け、先へと進んだ。
そしてしばらく進むと、何もない大空洞へと辿り着く。
ここがガイの目的地だった。
「……出てこい、居るんだろう?……悪魔っ!」
ガイの叫びと同時に、大地から突然紅蓮の炎が噴火した。
文字通り噴火のような激しさで大空洞全域を埋め尽くすような膨大で激しい炎が一つの形を形成していく。
巨大な火の鳥……いや、二対の炎の翼を持つ人形……すなわち、紅い天使、赤い炎の翼を持つ最強の悪魔。
ここファントムでは、イェソド・ジブリールと呼ばれていた存在の真の姿だった。
「今回はいきなり完全体からか? サービスが良いな」
ガイの軽口に、炎の悪魔は凄絶な笑みを浮かべることで応える。
「もう一つ姿があるにはあるが、これが今の私という存在にもっとも相応しい姿なのは間違いない」
「もう一つ? もう一段階変身して強くなるとか言わないだろうな?」
「いいや、安心しろこちらの姿の方が遙かに強い。なぜなら、これが……私……悪魔王エリカ・サタネルとしての真の姿だからだ!」
イェソド……悪魔王エリカ・サタネルの名乗りと同時に、ガイは壁に叩きつけられた。
羽ばたき。
炎でできた翼の揺らぐような僅かな動き、それだけでガイは壁まで吹き飛ばされたのである。
「始まりは紅天使エリュディエル。彼女は唯一人で神に逆らい、無数の兄弟たる天使達を斬殺し、己の翼を真っ赤に染めながらも、神の元へと辿り着いた……だが、後一歩というところまで神を追いつめながらも、彼女は敗れ、まだ何もない世界へと投げ捨てられた……」
エリカは語りながら、ゆっくりとガイに向かって歩み寄っていった。
「何もないその世界から出ることができなかった彼女はそこで力を蓄えることにした。いつの日か、そこから舞い上がり、今度こそ神を殺すために……」
「ふん、身の上話か?」
ガイの左手に青銀色の奇妙な紋章が浮かび上がると、次の瞬間、静寂の夜が出現する。
「時折、『上』から天使が雨の代わりに振ってくることがあった。どうやら、神はこの世界を役に立たなかったり、逆らった天使のゴミ捨て場に決めたらしい」
「まだ、その話は続くのか?」
「そこに捨てられるのは天使だけではなかった。欲望、怒り、悲しみ、ありとあらゆる負の感情……悪意もまたこの世界に捨てられるように流れ込んできた。やがて、悪意は濁り、凝り固まり、一つの精神生命体を生み出していった……これが『悪魔』の始まり。その時から、この世界は悪魔界と呼ばれるようになった」
エリカは、ガイの剣が届くか届かないか微妙な間合いで立ち止まった。
「そして、お前は……捨てられた天使と、悪魔というその世界で生まれた生命達の王になった……てところか?」
ガイが先回りした発言に、エリカは苦笑を浮かべる。
「ああ、そんなところだ。聖十字教や救世主教でサタンだとか、ルシフェルだと堕天使の王とか悪魔王とか呼ばれる者が出てくるだろう? あれは全て、私をモデルにしているのだよ」
「ふん、宗教や学問やってる者にとっては重大な真実というか、問題発言なんだろうが……俺には関係ない。俺には、お前が悪魔の親玉……強い悪魔だということさえ解っていればそれでいい。あんたの過去も肩書きも俺にはどうでもいいことだ」
ガイは静寂の夜を正眼に構えた。
「そうか、貴様は単純でよいな。では、貴様の望みどおり与えてやろう、殺されるかもしれない……いや、絶対に殺されるという恐怖をっ!」
「ああ、感じさせてくれよ、俺に死の恐怖をっ!」
エリカの炎の翼が羽ばたき、全てを一瞬にして跡形もなく蒸発される熱風を巻き起こす。
「っっ……」
しかし、熱は静寂の夜の力によって無効化され、ガイには届かず、風圧には静寂の夜を大地に突き刺すことで耐えていた。
「これは技でも術でもなんでもないぞ。ただ、翼を羽ばたかせただけだ……もっとも、大抵の者はそれだけで我が前から消えてしまうのだがな……」
エリカが楽しげにクックックッと喉を鳴らす。
「だろうな。よっぽど高位な悪魔なり魔族じゃなきゃ、お前と対峙することもできまい……」
ガイがエリカの台詞を肯定する。
なぜなら、静寂の夜によって無効化されているはずなのに、かなりの熱を感じるからだ。
静寂の夜の無効化の処理が間に合わない程に、エリカの巻き起こしている熱風は凄まじいのである。
もし今、高位の人外か、ガイのように無効化の力を持つ者以外が、この大空洞に入ってきたら、大空洞に充満する熱で、跡形もなく一瞬で蒸発するのは間違いなかった。
「頼むから、せめて『戦い』にはなるようにはして欲しいものだ、 わざわざ本体で出向いてやったのだからな」
エリカの右手の人差し指が一瞬光る。
「くっ!」
ガイは静寂の夜を大地から引き抜き、己の顔を隠すように構えていた。
「ほう、見えたか? 今の熱線が」
ガイは剣の背でエリカの放った熱線を弾いたのである。
「だが、よいのか? 剣を突き刺していないと熱風で……」
エリカが言い終わらないうちに、ガイの体が熱風で舞い上がった。
「では、試させてもらうぞ。静寂の夜よ、汝が本当に我が全力の炎を、防御なり無効化なりしきれるのかをなっ!」
紅蓮の炎の翼が激しく羽ばたく。
「紅魔赫焉覇!(こうまかくえんは)」
赤く、どこまでも赤く光り輝く炎が、エリカの全身から解き放たれ、大空洞を全て埋め尽くした。

















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一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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